もうすぐ四十路の新米主婦奮闘記

結婚生活2年目、もうすぐ四十路。ひとりっこ症候群に苛まれつつ、不妊治療や実家リフォーム、パニック持ちなど、課題山積の日々。

メンタルのこと〜自己無価値感の中で「生きる」〜

海老蔵さんの会見を見て、

強く美しく人生を全うされた麻央さんの

訃報への悲しみが湧き上がったと同時に、

ひとつ、自分の中の壁が崩れた。

 

「生きる」ことの意味がようやくわかった気がしたのだ。

 

自己無価値感が、自分の中で明確な存在感を現し始めてからおよそ3年。

おそらく発症したのは小学1年のころだったと思う。

 

子供のころは、それになんとなく気づいていながらも、

日常のなかで「そんなわけない」と立証するがごとく、

あがき続けてきたように思う。

 

しかし、ブラック社長のもとで秘書として毎日叩きのめされていくうちに、

自我を失い、その代わりに私の前に立ちはだかったのが、

長年をかけて大きくなった、

そしてブラック社長によってさらに増幅されてしまった

自己無価値感だった。

 

自己無価値感が自分の中のメインストリームを占めるようになると、

なかなかそれを奥へと引っ込めることができない。

いや、おそらく、生きている間は、引っ込まないだろう。

 

自分はどうして生きているのか。

この世に生きている価値は自分には無いのに、

生きていて何になるというのか。

生きている価値のある人が亡くなって、

どうして自分は生きているんだろう。

かわりに、私の無意味で無価値な命を差し出したい。

 

自分の命に対して不感症になったのだ。

だから、わけもわからず生きていた。

 

でも、今日、海老蔵さんの会見を見て、

パラパラと分厚い壁が崩れていった。

 

壁の向こうにあったのは、

「生きよう」という思いだった。

  

自己無価値感は変わらない。

でも、生きている価値のない私だからこそ、

私を大切に思ってくれる人たちのことを

悲しませてはいけないと思った。

 

私の生きている意味は、

その人たちのために、ただ、清く、幸せに生きることだ、と。

 

それは「愛」だった。

 

それを明確に教えてくれたあなたに。

ありがとう。

どうぞ、安らかに。