もうすぐ四十路の新米主婦奮闘記

結婚生活2年目、もうすぐ四十路。ひとりっこ症候群に苛まれつつ、不妊治療や実家リフォーム、パニック持ちなど、課題山積の日々。

リフォームのこと〜二世帯リフォーム反対派、母の希望〜

同じ市内にある実家。

両親が暮らしている。

 

ふたりとも、あと1,2年で後期高齢者だ。

父は去年、長年闘ったガンの治療をようやく終えた。

母も同じく、去年、長年闘った肝炎の治療をようやく終えたが、

食道静脈瘤切除の手術が半年おきに2回繰り返された。

 

大好きだった母方のおばあちゃんは、 私が幼いころ、腹部動脈瘤で亡くなった。

 

両親とのこの先の人生を意識したのは、 昨年の母の手術後、そんなことを思い出した。

 

「いずれ、死ぬんだ。お父さんも、お母さんも。」

 

両親の「老い」は日ごろから感じていたが、

「死」について、漠然と、でも、現実として感じたのは、その時が初めてだった。

 

手術を重ねる度に、身体機能が目に見える速さで衰える。

 

38歳の私でさえ、1か月前に子宮内膜ポリープ切除の手術後、

3週間は体力も気力も万全にはならなかった。 74歳の体には、度重なる手術は相当きついんだろうな。

 

父は、2世帯リフォームに賛成してくれている。

自分の「老い」を正面から受け止めているようだ。

我が家の問題は、母。

手術や治療を繰り返し、身体機能も免疫力もだいぶ衰えてきているくせに、

気持ちだけはおそらくまだ20代花盛り。

 

ちらりとリフォームの話をしたが、

「あんたの気持ちはわかるけど、

            お母さんは、干渉されたくないの!自由に生活がしたい!」の一点張り。

 

母に自由を切望する魂があるなんて、意外だった。

 

なぜなら、私に対し、完全なる過干渉だったからだ(笑)

外泊や朝帰りなど、社会人になっても禁止だった。

 

でもボトルネックになっている母の気持ちがわかったのは、

2世帯リフォームを進める上での、第一の「軸 テーマ」になった。

 

「お互い干渉しない、干渉されていると感じない空間づくり」

 

である。

 

自分のこと〜時間の作り方〜

派遣社員として気軽に働く毎日だけど、

どうも自分の時間を作るのが下手だ。

 

自宅でもいいからヨガやストレッチを毎日したいし、

資格の勉強も1日1時間くらいしたい。

 

午前2時に仕事が終わっていた頃に比べれば、

時間はあり余っているはずなのに。

 

06:50 起床、旦那くんのお弁当作り

07:30 旦那くんお見送り、支度整えて朝食

08:45 出発!

09:30 始業開始

17:30 定時退社。

18:00 帰宅、脳みそ放電

18:30 晩御飯の支度開始

19:00 旦那くん帰宅、旦那くんジョギング出発

19:30 旦那くんジョグ終了、晩御飯

20:30 片付け&お弁当の仕込み

21:00 旦那くんとまったり放電

22:00 就寝準備

22:30 就寝

 

 

うーん。

寝すぎか。

夜か朝に時間作るしかないなぁ。

ヨガと勉強で2時間。

朝5時半には起きたいな。

できるかなぁ。

 

メンタルのこと〜自己無価値感の中で「生きる」〜

海老蔵さんの会見を見て、

強く美しく人生を全うされた麻央さんの

訃報への悲しみが湧き上がったと同時に、

ひとつ、自分の中の壁が崩れた。

 

「生きる」ことの意味がようやくわかった気がしたのだ。

 

自己無価値感が、自分の中で明確な存在感を現し始めてからおよそ3年。

おそらく発症したのは小学1年のころだったと思う。

 

子供のころは、それになんとなく気づいていながらも、

日常のなかで「そんなわけない」と立証するがごとく、

あがき続けてきたように思う。

 

しかし、ブラック社長のもとで秘書として毎日叩きのめされていくうちに、

自我を失い、その代わりに私の前に立ちはだかったのが、

長年をかけて大きくなった、

そしてブラック社長によってさらに増幅されてしまった

自己無価値感だった。

 

自己無価値感が自分の中のメインストリームを占めるようになると、

なかなかそれを奥へと引っ込めることができない。

いや、おそらく、生きている間は、引っ込まないだろう。

 

自分はどうして生きているのか。

この世に生きている価値は自分には無いのに、

生きていて何になるというのか。

生きている価値のある人が亡くなって、

どうして自分は生きているんだろう。

かわりに、私の無意味で無価値な命を差し出したい。

 

自分の命に対して不感症になったのだ。

だから、わけもわからず生きていた。

 

でも、今日、海老蔵さんの会見を見て、

パラパラと分厚い壁が崩れていった。

 

壁の向こうにあったのは、

「生きよう」という思いだった。

  

自己無価値感は変わらない。

でも、生きている価値のない私だからこそ、

私を大切に思ってくれる人たちのことを

悲しませてはいけないと思った。

 

私の生きている意味は、

その人たちのために、ただ、清く、幸せに生きることだ、と。

 

それは「愛」だった。

 

それを明確に教えてくれたあなたに。

ありがとう。

どうぞ、安らかに。

38歳、派遣社員、不妊治療中の主婦です。

まさか自分が派遣社員になるとは。

まさか自分が不妊治療を開始するとは。

まさか自分が主婦になるとは。

 

この3年間はまさかまさかの連続でした。

 

3年前。

わたしは、勢いのある超ブラック中小企業の社長秘書を6年努め、

鬱&パニックという瀕死の状態でドロップアウト

 

あの6年間で、身を以て学んだことを、ひとつ挙げるならば、

 

100時間以上の残業が続くと、自殺願望が芽生え、

200時間以上の残業が続くと、事故による死亡率が跳ね上がる。

※ちなみに、その状況にパワハラが加わると「明日も出社するか、死ぬか」の二択になります。

 

 

そんな、ボロ雑巾以下に成り果てた私に手を差し伸べてくれたのが、

いまの年下旦那さんでした。

 

出会ったのは、自我さえ失っていた頃。

遊ばれるのを覚悟して、

あまり精神的に深入りしないように付き合っていたのですが、

どうやら本気だったようで。

 

ドロップアウト後の数ヶ月間、寝たきりだった私を、

優しく介抱してくれた命の恩人でもあります。

 

その後1年かけてリハビリ生活を送り、ついに社会復帰。

現在は、派遣社員として社会の片隅で働いています。

 

職責も、労働時間も、当時の1/3。

もちろん、お給料も1/3(泣)

 

あんなに第一線で働くことにこだわっていた自分が、

結婚なんて向いていない、と思っていた自分が、

今は定時退社、18時半には夕飯作りに勤しんでいます。

 

職場で同年代の社員さんがバリバリ働いている姿を見ると

過去の栄光に後ろ髪をひかれまくりで、

無価値感に苛まれることも否めません。

 

けれど、仕事に追われ、コンビニの粗食ばかりのある日の仕事終わりに、

「手作りのご飯が食べたい」と泣きながら歩いた深夜3時の辛さを思い出すと、

 

「無い物ねだりはよそう、今を生きよう」

 

そう自分に言い聞かせる日々です。

 

人間らしい生活に、遅ればせながら返り咲いた今。

結婚2年目。

旦那さんの希望もあり、不妊治療を始めました。

 

どちらにも問題なし。(まぁ、わたしには年齢的な問題アリですが・・・)

来月あたりから人工授精開始かな。

 

ブログでは、

 

不妊治療のこと

☆ときどき顔を出す鬱&パニックのこと

☆ひとりっこ症候群ならではの実家との関係のこと

☆実家リフォームのこと

 

など、

平和な日々とはいえ、けっこう山積している課題を中心に、

書き綴っていこうと思います。

 

偶然お立ち寄りになった方も、

似たような課題にチャレンジている方も、

みなみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

 

きょうは、ココまで。